ネガティブな人が好き

SNSの投稿にはハッシュタグだけでは表せない属性があります。それが感情です。画面スクロールでサッと目に入れる間に感じるものとしたらポジティブさ/ネガティブさでしょう。

もちろん、ポジティブな投稿は人をポジティブにさせる効力があり、ネガティブな投稿は人をネガティブにさせると思います。そして人を不快にさせないほうがよいとも思いますので、ネガティブな投稿は慎むべきです……

……という結論にはならないのです。

 

 

 

ポジティブの否定

情報

人は刺激のない情報だけでは満足しません。例えば、いつでもX(Twitter)の投稿からニュースが見られ、ネット配信ではニュース専門のチャンネルがあり24時間情報を得ることができます。そうなると既存のメディアであるTVの視聴量が下がり困ってしまいます。そこでTVでは刺激の強い内容や、インターネットを見ている層と共感を得られる内容を製作します。インターネットで人気の情報をTVで紹介する逆輸入的なものを見たことはありませんか?

ネガティブな投稿には刺激があります。ショッキングな内容かもしれません。見たくないかもしれません。ですが、そういった内容を目にすることでポジティブな投稿のポジティブさが保たれるのです。ポジティブな情報ばかりでは、どこを超えればポジティブと判断されるのかという閾値を上げてしまうのです。

 

投稿から思考

投稿のせいにしていますが、自己の中にネガティブな思考さえあれば、ポジティブさの閾値は上がらないのではないか? とも思いませんか。

文字に起こして投稿する、といった一連の行為をすると、思考も共振してしまいます。ですので、ポジティブな投稿を続けることはポジティブな思考に暗示していることと変わりません。

 

 

ネガティブの肯定

疑うこと

ネガティブさは現状への不満です。疑うことは学びの基礎ですから、なにも悪いことではありません。知的行動です。

逆にいえばポジティブさは現状への満足です。身体・感覚としては現状に不満をもっているのにもかかわらず、「ネガティブはダサい、ポジティブでなければ」という気持ちになってしまうと、現状を受け入れてしまい、ねじれが起こって疲弊してしまいます。

 

SNS疲れへの処方箋

ポジティブさは現状への満足ですから言い換えればリア充的なものです。SNSリア充アピすると言い換えてもいいでしょう。FacebookInstagramで理想の自分を構築していきリア充アピールをし続けること、まわりのそういったキラキラな投稿を見ること、これらがしんどく、SNS疲れといわれてきました。

充実していることが常時なわけありませんが、見える世界はみな充実なのです。そうなると自身が不十分に思えてしまうのも無理はありません。そして、投稿という形で積み上げてきた仮想自己と自信の不十分さの齟齬がさまざまな負の感情を生み出すのでしょう。不十分な人間という証拠を自身の投稿に残すことでその仮想自己をリアルなものに近づけられないでしょうか。

 

 

重さとタスク

ここまでネガティブな投稿を肯定し続けました。ですが、重い投稿は対応に困るというのもあるでしょう。この「重い」投稿によって、お前のことなのにSNSに投稿して、俺に言うなよかまってちゃんか、みたいな感想をもってしまうでしょう。

こういった感想は一部正しく、確かに投稿者の事情なのでしょう。しかし、かまってちゃんか(もしくはわざわざ人前で言うなよ的な)感想は、そう思っている時点で受け手のタスクになっている節があります。別に受け手のまっとうするタスクではないので、冷たい言葉ですが、放っといても大丈夫なのです。

私もヘラツイをよくしますが、書くこと、誰かが見ていることに意味があって。反応してくれたらやや嬉しい。けど、無理になにかしてほしいわけじゃないんです。

 

 

 

 

ポジティブとは現状満足です。環境への満足は上記で述べた通りですが、自己についてはどうでしょう。今のままで十分いいということでしょうか。少し違っていて、自己分析のような診断をしたり占いをしたり、過去の功績を見直したり、自身の価値を認めることがポジティブで現状的でしょう。つまりは、自身の中になにか原石のような「アイデンティティ」があって、それを掘り起こして、磨いているわけです。

ネガティブな現状不満の立場ですと、自身の中には「アイデンティティ」はなくって、常に悩み、自己の一部を否定しながら絶えず形を変えていくでしょう。これからの不安という伸びしろですから、何も焦ることはありません。

 

私は自分が何者か説明できて、メンタルタフネスで、悩んでいる人を元気づけられるような人間には、少なくともなりたくありません。

自分を説明することなんて到底できなくて、メンタルは弱くて、悩んでいる人とは一緒に悩んでしまう。けれども物事に敏感でありたいし、そういう人が好きです。