「メタバース選民思想」とは何か を読もう!

メタバース選民思想」とは何かを一緒に読んでいきましょう。

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この文章は大きく3つの意味段落からできています。1つめはメタバース選民思想について。2つめは選民思想ができた原因の仮説(想像)。3つめは総括です。

 

 

1 メタバース選民思想について

まずはメタバース選民思想について確認してみましょう。そのために、選民思想について述べている個所をピックアップします。

選民思想とは、メタバースで自分自身の現実状況と仮想現実状況の勘違いし、自分が他とは違う選民であるかのように振る舞う行為のことである。(メタバース選民思想の表象ケースの総括)

引用元の文法におかしいところがありますが、おおよその意味はわかります。生身の自身がもつ特徴と、バーチャルなユーザーとしての自身がもつ特徴は違っているということでしょう。

ここだけでは選民であるかのようにふるまう行為について十分に情報がないので、別の箇所をみてみましょう。

 

どこかでメタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なものだといった選民思想(「メタバース選民思想」の出発点)

 

「俺らの趣味メタバースだから!最先端だし!」みたいな選民思想がありそうだわなと考え始めたわけ。(「メタバース選民思想」の出発点)

なるほど。高貴なもの・最先端のものとふるまうことが選民的なのだと述べています。

 

これでひとまず選民思想について大まかな輪郭をつかめました。

 

 

一方で、私の方で「メタバース選民思想について」と勝手に区切った意味段落ですが、本文はほかの主張も混在しているのです。それが起爆剤を作れなかったことへの批判です。起爆剤の話が原因で選民思想について思い至ったという流れならば奇麗にまとめることができるところ、2種の主張を混ぜているため多少読みにくくなっています。そこで、いったんは起爆剤の話をまとめることにしましょう。

 

 

  1-1 起爆剤

スタンミによってユーザーが流入した現象に対しての話です。

まず前提として、記述をみると筆者はVRChatの認知度をあげてユーザー数を増やすことは良いことだと考えているようです。そして、そういった活動をしていたユーザーもいるのだそうです。

筆者はなぜそういったユーザーはスタンミのように爆発的なユーザー流入を起こせなかったのかを反省する必要があると述べています。

なぜ我々だけでそういった現実世界へ向けての価値の転換を含んだ爆発を起こせなかったのかは大いに検討すべきである。(「メタバース選民思想」の出発点)

 

なぜ今まで多くの人員が初心者向け活動をしたのにも関わらず我々だけで起爆剤を作れなかったのか。(「メタバース選民思想」の出発点)

 

筆者は初心者向けイベントを運営していた人たちに対して次のように述べています。

自己批判もなしに盲目的に「今までの啓蒙活動は無駄じゃない!」と言えるは自己解釈を美化し、自身の影響力を無為にしたくないという固執である。(「啓蒙活動は無駄じゃない」発言の背景と定義)

 

確かに、事実を受け止めて反省するのは必要なことです。なにも反省なしに自身を守るために「無駄じゃなかった」と言葉をだしてしまうこともあるでしょう。でも、一度考えるきっかけにしてもいいのではないでしょうか。

 

ただ、私はそれって反省しようがないと思います。

例えば、なぜ日本ではジョブズが生まれないのか。といった問いに似ています。だってジョブズじゃないもの。

イノベーションを求めてるのに、既存の枠内(ここではジョブズ・スタンミ)を想定するのはおかしな話です。規格外のことが起こるからイノベーションのはずなのに、想定してしまっているのですよ。

イノベーションではない活動は意味がないかといったらそうではありません。爆発的ではありませんが、安定的にユーザーを増やしていっているはずです。その人たちの努力をないがしろにしてはいけないと思います。

 

さて本題にもどしましょう。筆者は、初心者向け活動をしてきた人たちに対して「現実世界の遊びとは違う高尚なものだ」といった思想(選民思想)があるから反省ができないのだと述べているのです。

 

  1-2 選民思想

筆者はこうした例をいくつか挙げて「VRChat自意識過剰あるある」を自分なりに作ったとしています。ケース1~6をみると次のようにまとめることができます。

他者がしてきた影響が多分にあるのにもかかわらず、自身の成果だと勘違いしている。メタバースにおいては、影響力のある他者や評価してくれる他者がいるため、そうした自意識が大きく膨れ上がりやすい。

 

さて、こうしてみると選民思想は先の意味よりも広義のものになるでしょう。

 

ただし、話がややこしくなるのはここでしょうか。

そういう井の中の蛙感がさ、メタバース選民思想を生みやすくしてると俺は考えてる。(メタバース選民思想の表象ケースの総括)

私は別に井の中の蛙でいいと思っているのですが、筆者はそうではないようです。そもそも、VRChatの認知度をあげてユーザー数を増やすことを良しとしている前提の話でしたね。ですから、小さな村の中でわいわいできていればいい層と思想の違いがあるのでしょう。

 

私はこういった考えに対して批判的です。下記過去記事を参考にしてください。

urara-k.hatenadiary.com

urara-k.hatenadiary.com

urara-k.hatenadiary.com

 

 

2 選民思想ができた原因の仮説

この仮説にひとつひとつ言及するほど私は優しくないので、ここでは細かく触れないこととします。

 

 

3 総括

筆者はごっこ遊び≠ホンモノの壁と題して総括を述べています。

 

これはおもしろい問題です。このnote記事をみていると、筆者はプローアマチュア(バーチャル)の構造に対して、プロ>アマチュア(バーチャル)という先入観があります。プロのほうが素晴らしい、プロのほうがホンモノだ、ということです。

 

これが間違っていると指摘するのは簡単なのですが、こういった先入観を持ち合わせている人がある程度存在しているのがおもしろいです。

 

このホンモノ感(Authenticity)についてはギルモアらの整理が役立ちます。

人々は企業の提供する「にせもの」の価値に飽き飽きし、なんからの点で「ほんもの」とみなすことのできる価値を求めるようになっているという(Gilmore & Pine II, 2007/2009 林訳)

つまりは「ホンモノ」かどうかというのは消費者が見出すものになっているわけです。プロ/アマだからといって、ホンモノ/ホンモノではないと区別できないのです。

 

バーチャルな例ではインスタ映えを例に鈴木が次のように言ってます。

インスタ映え」するということは、実際の場所への訪問や評価を通じて生成されるコードの問題であること、そして、そのコードと場所のマテリアリティの相互作用こそが、その場所を「インスタ映えする場所」たらしめているのだ(鈴木謙介ソーシャルメディアとオーセンティシティの構築.https://doi.org/10.32170/tourismstudies.7.1_3

 

 

現実とバーチャルを分けて考え、現実>バーチャルであるとしている筆者の考えは私には合いません。私はこのブログを通してバーチャルは現実と地続きであると言い続けていますからね。プロとアマチュアについてもそうです。いや、我々がやっていることこそホンモノだ! というのではありませんよ。決めるのは消費者ですし、ホンモノ感にもグラデーションがあるでしょう。(ただし、現実<バーチャルであるといった論は違います)

 

 

 

 

さて、メタバース選民思想とは、私がまとめたところ以下のようなものでした。

他者がしてきた影響が多分にあるのにもかかわらず、自身の成果だと勘違いしている。メタバースにおいては、影響力のある他者や評価してくれる他者がいるため、そうした自意識が大きく膨れ上がりやすい。

 

もちろん、自分は凄いんだ! という行き過ぎた意識は問題になるかもしれません。しかしそれはメタバースに限ったことではなく、SNS社会では一般的なことだと思います。

むしろ、筆者のほうが現実とバーチャルの間に仕切りを築きたがる、という意味で選民的思想をもっているなと感じたところです。