映画「バービー」を観た

映画「バービー」の感想です。
以下ネタバレ含みます。

 





 

感想としては、個人的にみてよかった作品の部類には入るのですが、違和感もある映画でした。

 

 

テーマのはなし

メインテーマはフェミニズムの基礎的な部分であると受け取りました。大衆映画ですから、最先端の思想を落とし込むのは現実的ではありませんからね。ただ、基礎的といっても社会派の内容を大衆向けのコメディとして形にしたことは意味があると思います。むしろ、そういった形として製作されているので、フェミニズムを知らない人向けなのかもしれません。

 

女性社会のバービーランドや男性社会のケンダムは、ミサンドリストや男性一般に対しての風刺と捉えています。男性社会のケンダムが男性一般の思想への風刺というのはわかりやすいと思います。

一方で、バービーランドに違和感はないでしょうか。めちゃくちゃありますよね。そんな世界もおかしいだろうと、ラスト近くのシーンでは男性も立場を上げようと描かれています。女性のみの世界からの改善という意味でミサンドリストへの風刺が描かれているのではないでしょうか。

 

ラスト近くのシーンでいうと、これからケンと恋愛関係になるだろうという未来を否定します。女性は恋愛が好きなんだろう? という古典的な思想へのアンチです。さらにケンも十分であることを表明しており、男女どちらも、恋愛がライフステージの中心にあるというようなロマンティックラブ・イデオロギーを否定します。

 

ケンは自分には何もないと言います。バービーは、ケンはありのままのケンでいいと伝えます。これはバービー人形の生みの親、ルース・ハンドラーから言われたことに影響を受けたものでしょう。

 

つまり、フェミニズムの基礎というテーマの延長線上にネオリベというサブテーマがあり、それを描いている映画なのです。

 

私自身は、このフェーズはもう終わっていたのかと思っていました。ですが、映画「バービー」へのコメントを見るに、なかなかそうでもないことを痛感しました。

 

 

自己受容

バービーは人形から人間になろうと決断します。死について考えたり、セルライトがあったり。そういった形も中身の完ぺきなひとなどいないが、自身を受け入れ、それでも生きようと進む姿が素敵でした。

ラストシーンは生殖器がなかったということになっているバービーが、婦人科を訪れたことで、生身の人間になったと受け取りました。

 

自己責任論的な側面のあるネオリベな現代では、完ぺきではない自身を受け入れて素敵だと思える能力が必要とされています。悩める者への処方箋として、男女問わずに受け取れるメッセージなのでしょう。

 

 

弱者男性、インセル

この映画には弱者男性やインセルという表現はありません。ただケンが弱者男性ぽいといえばそうなのかもしれません。資格もなにもなく、ただ男であることしか自分を説明するものがない。現実社会に来て、男というものは誇ってもいいものなんだと勘違いしてしまう。

これは現実社会で、強者男性がいることで十分にふるまえなかった男性性を、女性に対して振りかざしている弱者男性像と重なるのではないでしょうか。

また、非モテの弱者男性は恋愛至上主義的な劣等感があり、恋愛が成就することですべてがうまくいくかのような幻想をときに抱いているのですが、ケンも同様の発言をしていたかと思います。

 

 

商品としての女性性

作中、娘のサーシャのセリフ「あんたは間違った価値観の象徴よ。資本主義の性的対象化、ありえない理想的体系……。あんたはフェミニズムを何年も退行させた。資本主義を美化して女性たちの士気を低下させて。あんたなんかとっくに忘れてたわ。ファシストめ」

つまりは花屋の多様性です。花屋に並んでいる時点でスクリーニングされたもので、そういった美的な「個性的」なものをもって多様性をうたうのです。その美的かどうかは性的であるかで振り分けられ、なおかつ商品として消費されているのです。

そういった、性的価値を肯定する存在にもなっていたというのです。

 

日本でもグラビアやオタクコンテンツによって性的消費がされています。
なるほど、二次元だからいいじゃないか、という意見はあるとは思います。ですが、非実在なバービー人形をファシストと呼ぶように、二次元のオタクコンテンツにも暴力性があるのではないでしょうか。

 

 

 

フェミニズムは女性の権力向上によって女尊男卑を目標にしていると誤解している人に対して、バービーランドの変化をもってその誤りを指摘。そうではなく、個人が自由に生きられるそういう理想を描き、現実的な男性性の支配と女性の生きづらさをコメディとして演出。その自由さのために、自分は完ぺきではないけれどもそれを受け入れることの大切さ。それは他人から・恋人からの肯定ではないということ。そんな苦しいのに美しい人間になることを選択し。他人から押し付けられていた女性性を、否定しつつ、拒絶はしない。かなりポジティブに締めくくられたと感じました。

 

 

腑に落ちない点もあります。権力のある男性がコメディとして、可愛げのある存在としてしか描かれてないことです。ケンは弱者男性っぽく、マテル社CEOは少しおちゃらけた言動をする人と描かれています。

 

もっと世の中ギラギラした、いかにもな男性(この映画を批判するような、でもいいですが)がいるじゃないですか。それに対してのアンチが少ないような気がします。

 

気弱なオタクくんがイキって出してしまう不慣れな男性性は批判するけれども、もっとマッチョで頑固なオヤジの汚い目線は批判しきってない。というか、前者を笑いものにすることで、マジョリティな男性には忖度しているようにも感じます。

 

それだと映画的に売れないということだったり、そういったマッチョな男性やそういった男女の構図を受け入れている女性にまで客層を広げたからでしょうか。

 

 

 

一部違和感はありますが、フェミニズムの基礎的な内容をコメディとして作り上げたことは素晴らしいと思います。また、こういった内容の映画だと、観た人同士で感想を言い合うのも楽しいものです。

ぜひ感想を言い合いましょう!