あるところに地下室で毎日パンづくりにいそしむ二十六人の男たちがいた。これといった愉しみもなく、課された仕事を憎みながらも、ただ黙々と働いて日々がすぎていく。そんな労苦のなかで、一服の清涼剤だったのが、上の階で小間使いとして働く十六歳のターニャという少女の訪問。パンをもらいにくる彼女の太陽のような笑顔に癒される男たちは、全員でターニャへのプラトニックな愛を誓う。そんなおり、元兵士の優男が仕事仲間の新顔として彼らの前に現れる。女にモテることを鼻にかけた元兵士の態度に反発を覚えた二十六人は、その場の勢いで、そんなにいうならターニャを口説き落としてみよ、という賭けを提案してしまう。そして二週間後の雨の日、元兵士とターニャの穴倉での密会を目撃してしまった男たちは、上気した表情で穴倉から出てきたターニャを囲い込み、罵詈雑言をあびせかける。はじめはおびえて声も出なかったターニャは、誰かに上衣の袖をつかまれたのをきっかけに、「あーあ、あんたたちはみんな気の毒に、牢屋に入っているようなもんね! Oh, you miserable prisoners!」と言い放って、振り返りもせず颯爽と消えていく。もう二度と彼らの前に現れることはなかった。
荒木優太『サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか』(集英社,2023)(p3)
マクシム・ゴーリキー『二十六人の男と一人の少女』のあらすじ
オタサーの姫の概念はすでにありふれたものとして共有されていると思います。
むしろ、それをメタ的にみることでファッションとしてポジティブにネタとして消費しているとさえいえます。オタサーの姫を含めて病み系、メンヘラ系をイメージしたkawaiiキャラクターや衣装、音楽など生活に溶け込んでいるでしょう。もはやベタなキャラのひとつになっているのです。
一方で、同様の文脈で語られることの多い「サークルクラッシュ」についてはネガティブなものとして、未だネタにされたままだと思います。
私はVRSNSというバーチャルな世界を楽しむ一般人ですが、こういった場でも生活に溶け込んだオタサーの姫のような存在がゆえにサークルクラッシュすることがあるのか、興味があります。
例えば、先に引用したゴーリキーの小説も広義のサークルクラッシュだと思います。
どうでしょう。VRSNSを使っていて似たようなことを経験した人も居るのではないでしょうか。
今回のブログはオタサーの姫について記述された、ジャンヤー宇都 『オタサーの姫』(TOブックス,2015)を読んだ読書感想文になります。
男性多数で、なおかつ外部から見たときに『オタク的』であるか、構成員が『オタク的』であることを自覚しているコミュニティに所属し、複数の男性から『ちやほやされる』女性(p25)
引用元では「オタサー」と「姫」の両方を定義しています。
この記事ではVRChatなどのVRSNSを想定していますので、「オタサー」の定義を、たんにサークルや共同体・集団としたいと思います。理由としては①VRChatユーザーはオタク的な人が多いから、②VRChatユーザーは男性多数であるから、③発行から8年ほど経ち既に一般化した用語のためオタサー以外の共同体でも起こりえるかもしれないから、の3つがあります。とにかくあやふやにしておきます。
「姫」を複数の男性から「ちやほやされる」女性としていますが、バーチャル上ではホモフォビア(同性愛嫌悪)が薄れるため、ここでは性別を限定しない複数のメンバーから「ちやほやされる」人、とします。
そのため、アラサーでも男性でも、オタサーの姫ムーブができると思います。(結果的にそういった姫ムーブをしてしまった、そうみられてしまったということも含みますが……)
まとめると、「(VRSNSの)集団内で、ある個人が複数の人からちやほやされていることが続いている状態」でしょうか。いっきにハードルが低くなった印象があります。
これがバーチャルの人間関係が不安定な要因だ! などと早合点はしません。
もう少し掘り下げていきたいです。
そうそう、オタサーの姫といえばどのような年齢の女の子を想像しますか? 10代後半から20代前半ですよね。これは女性のファッションに起因していると考えられます。
『オタサーの姫』では「アニメイト」にいる女性オタクのファッションやオタサーの姫のファッションについてこう述べています。
「可愛いヒラヒラの服か、ゴシック・パンク系の服を、スッピン・くせ毛で着ている感じの人が多いですの。(後略)」(p31)
興味や美意識の対象が自分自身ではなく、外部の「カワイイ何か」に向かうような傾向がうかがえた。(p32)
「アクシーズの安いヒラヒラお洋服にコンバースのスニーカーをあわせちゃうような女のコが、まさに『オタサーの姫』なんです。(後略)』(p33)
と、オタサーの姫のファッションについて書きつつ
「常識的な服装を心がけて社会に出て働かないと、同人誌を買うどころか家賃が払えません」(杉浦由美子『オタク女子研究 婦女子思想体系(原書房)(p23))
日本語には「歳相応」というコワい言葉があるが、就職をひとつの転機として、オタク女・オタサーの姫たちのファッションも「一般女性」のものに収斂されていくのかもしれない。(p36)
とも述べています。
そのため、アラサー女性は就職を機にオタサーの姫をファッションとともに卒業していくと考えられるのです。
一方でバーチャルではそうはいきません、boothの人気衣装をみてみるとわかるのですが、「可愛いヒラヒラの服か、ゴシック・パンク系の服」ばかりなのです。そのため、アバターに実年齢相応のファッションを着せようとするとなかなかうまくいかず、アバターの見た目年齢に合ったファッションに近いものになることが多いのです。
仮にユーザーが歳相応でコンサバなファッションを好んでいても、そういった衣装は数が少ないのが現状です。そのなかでファッションを楽しむのならば、10代後半のファッションを着なおすという選択肢に落ち着くことが多いと想像します。
結果、「可愛いヒラヒラの服か、ゴシック・パンク系の服」を着るアラサー女性ユーザーが、男性ばかりのコミュニティに所属する、という現象を生んでしまっていると思うのです。
これはオタサーの姫になろうとしなくてもです。
また同じことが女性のみならず、というかこちらが本命なのですが、男性ユーザーでもおこりえます。
オタサーの姫と同様の文脈で語られる言葉にサークルクラッシュがあります。サークルクラッシュが起こるときに中心にいる人をサークルクラッシャー、サークラと呼びオタサーの姫と比較します。また、『オタサーの姫』ではサークラを、無自覚サークラと自覚型サークラに分類し、そのほとんどが無自覚サークラだと述べています。
- アイドルのような存在
- 自己肯定感が強い
自分が変わらなくても、ありのままの姿で男のコたちにちやほやされるのが「オタサーの姫」です。だから、髪がボサボサだったり、服がダサかったりしてもいいんです。(p102)
自己肯定感の強い女のコは、ありのままで生きることができるから、「オタサーの姫」になれる(p103)
- キャバ嬢のような存在
- 自己肯定感が低い
「サークラ」は、コミュニティの中で、好かれよう・愛されようと努力するんですよ。身なりを整えたり、話をじっくり聞いて、相手が望むような言葉をかけてあげたり。その結果として複数の男性から好意を寄せられるのがわたしのような「サークラ」なんです。(p102)
「無自覚サークラ」の類型では、自己肯定感の低い女性が好意を持たれようと努力する結果として、サークルクラッシュを引き起こしてしまっている(p103)
つまり、オタサーの姫とサークラは別物であることが示されているのです。
冒頭のゴーリキーのあらすじで例えるならば、前半二十六人の男がプラトニックな恋愛感情を抱いていたターニャはまさにオタサーの姫と言えるでしょう。
オタサーの姫とサークラは同様の文脈で使われると思います。この2つの共通点はといえば以下の点でしょうか。
- 男性が圧倒的に多いコミュニティに所属
- (オタク的・男性的な)コミュニティのノリがわかる
- パーソナリティが女性的である
- ちやほやされている
ここでこの4点があてはまるオタサーの姫、サークラに未分化な人を「姫的な存在」と呼ぶこととします。
この4点、バーチャルの世界で行うのは容易いのです。
もともと男性ユーザーが多いバーチャルの世界では、そのコミュニティも同様であることは言わずもがな。イベントや趣味の集まりはその内容が、仲良しサークルではオタク的趣味が、そしてすべてでVRの技術やギミックが、話題となりそれを伴うノリとなります。
アバターは男性アバターよりも女性アバターが圧倒的に多く、ボイスチェンジャーの中には声を高く女性的にする機能のみをもったものもあるほどです。多くのユーザーが見た目と声は「kawaii女性的なもの」に収束されています。
そしてkawaiiものは良いものであるというイデオロギーがその根底にあるため、お互いに「可愛い」と言い合ったり撫で合ったりするコミュニケーションをとります。
また(そのイデオロギーがあるため)多くの男性ユーザーの好みを射るアバターに改変することで、よりkawaii存在になり多数のユーザーから「可愛い」と言われることもできます。
したがって、現在のVRSNSは意図的・非意図的に関わらず、オタサーの姫・サークラが簡単に生まれてしまう土壌なのだといえると思います。
さて、サークラにはある特徴がありました。それが自己肯定感が低いということです。
自己肯定感が低い人は他人から肯定されることによって生きる意味を見出します。この他者から肯定してもらいたい気持ちが「認められたい」という承認欲求となるのだと思います。
例えば、顔が良いのであれば、男性が寄ってくる理由が(それだけではないでしょうが)わかります。そして美貌に自信をもっているのであれば、それを肯定して「ちやほや」されている現状を納得し、良いもの(もしくは悪いもの)と感じるでしょう。
しかし、自己肯定感が低く、自信のない人だったらどうでしょう。
バーチャルで(しかたなく)kawaiiファッションに身を包んだことによって、男性が寄ってきてしまうことがあるのです(たんにコミュニケーションの一環ではありますが結果的にそうみえるということも含みます)。そして自信をもっていないため、それを肯定できず(ホントの自分とは違うのにな……)「ちやほや」されている現状を理解しがたく、気味悪く思ってしまうのではないでしょうか。もしくは「姫にならないようにしないと」と気を付けて行動するのではないでしょうか。
しかしながら、自己肯定感が低いタイプは他人からの評価が気になるため八方美人になりやすく、嫌われないようキャバ嬢的コミュニケーションをしてしまう人が多そうです。結果、みんなに愛想を振りまいていると解釈され、無自覚サークラになってしまう、そんなことがあるかもしれません。
ここでいう自己肯定感の低さ自体はメンヘラと呼ばれる属性とも共通しているのではないでしょうか。
サークラがメンヘラであるとか、メンヘラがサークラであるとかではなく。サークラとメンヘラをベン図で書いたときに自己肯定感の低さという共通項があるのではないか、ということです。
メンヘラ
自己肯定感が低い人は、というより私は、よく精神的リストカットをしてヘラります。
ここで『オタサーの姫』のなかで「自己肯定感」、もしくは世間一般で同様の語として呼んでいるものはあまり明確なものではありません。心理学者の高垣雄一郎によると学術用語としては「自分が自分であって大丈夫という存在レベルの肯定」だそうですが。世の中での使われ方としては、自己評価や自信といった言葉の方が当てはまりそうです。
メンヘラが錯覚する「自己評価や自信が高い方が成功する(だからわたしはダメ)」という考え方ですが。成功哲学を語る立場の人間が自身の成功体験を基にした意見です。これは生存者バイアスで偏っています(そういった自信のある人にひっぱってもらいたいという影響はあるかもしれませんが)。
また「自己肯定感のない私はダメ」と優生思想ともいえる発想になってしまうのも危険です。自己肯定感が低いのではなく世間的な価値観による誘導によって評価が低いと思い込んでいるのでしょう。常識人にならなきゃ、ふつうの人にならなきゃと焦っているのです。
「ヘラ」るといわれる精神的リストカット、自己嫌悪・言葉での自傷行為はメンヘラにとっての捌け口です。
いわゆる「自己肯定感」が低い人は、自分自身について、あるいは自分が周囲からどう思われるかについて、いつも考え続けているのです。自信が低いために、唯一、自分にしかわからないことを叫ぶのです。
それが自分がどれだけダメな存在であるかなのです。
「自分がダメであることに関しては、誰よりも自信がある」のですから(斉藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』(p35))。
そうして過度の緊張や気分の追い込みから自分を守っているのではないのでしょうか。
そのヘラるほどの憂鬱さを人に相談できないでいるのです。
そこに助けてほしいという気持ちはもちろんあります。ですが八方美人がゆえに相談できないことがあるのです。
八方美人というよりは、他者からの評価を恐れているといいますか……。
以下、長いですが引用します。
だが、忘れないでほしいのだ。もしもある人の援助希求能力が乏しいとするならば、そこにはそうなるだけの理由がある。その人は、内心、助けを求める気持ちがありつつも、それによって偏見と恥辱的な扱いに曝され、コミュニティから排除され孤立するのを恐れてはいないだろうか。あるいは、成育歴上の逆境的体験のせいで、「世界は危険と悪意に満ちている」「自分には助けてもらうほどの価値はない」「楽になったり幸せになったりしてはいけない」と思い込んではいないだろうか。だとすれば、彼らは援助を求めない。こちらから手を差し伸べても、拒絶されるのは当然だ。それどころか、みずから助けを求めておきながら、突然、翻意して背を向けることさえあるだろう。
そもそも、誰かに助けを求めるという行為は無防備かつ危険であり、時に屈辱的だ。冒頭に述べた、死にたいくらいつらい現在(いま)を生き延びるために、自傷や過量服薬を行っている子どものことを考えてみるとよい。一見、彼らはカッターナイフや処方薬・市販薬に単に依存しているように思えるかもしれないが、実はそうではない。問題の本質は、カッターナイフや化学物質という「物」にのみ依存し、「人」に依存できないこと、より正確にいえば、安心して「人」に依存できないことにあるのだ。
松本俊彦『「助けて」が言えない――SOSを出さない人に支援者は何ができるか』(日本評論社,2019)
カーストという他人・世間の尺度しか「正解」ではなと誤認しているのです。だからマウントをとったり、逆にヘラったりするのです。
安心できる他者に自分が生きていいということを認めてもらいたいのですが、他人が安心できないのなら、物にすればいい。物は裏切らないから……。
引用中のコミュニティから排除、成育歴上の逆境的体験のせいで、「世界は危険と悪意に満ちている」「自分には助けてもらうほどの価値はない」「楽になったり幸せになったりしてはいけない」などの部分はスクールカーストの影響が十分にあるように感じます。
カーストはちょっとした失敗で一気に下がることがあります。(ただし上げていくのは至難の業です)
カースト下位的思考、劣等感、自分は劣っているという考え方でいうと「非モテ」もそれに似ています。
非モテ意識に悩むということは「メルヘンチックな恋愛をしたいという願望を断ち切られ、好きな女性と結婚したいという願望を断ち切られ、女性を相手に自分の性欲を自力でみたしたいという願望を断ち切られ、それらすべてから疎外されることによって、自分の実存に大きな傷を負い、自分の人生がその傷を中核として回転していくような状態に陥ってしまうこと」だとした
西井開『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社,2021)(p25)
過去のさまざまな経験から、自己評価や自信が低い、そういった価値観があることそれがメンヘラのイニシエーターなのではないでしょうか。
クラッシャられ
サークラにのめりこんでいく様子を指す言葉としてクラッシャられというのがあります。一般的ではありませんが、サークルクラッシュ同好会で共有されている用語だそうです。
サークルクラッシュされやすいサークル、クラッシャられやすい集団とはどういうものなのでしょうか。
鶉まどか曰く
「一番”落としやすい”のはアニメのオタクです。アニメ鑑賞は、テレビの前で決まった時間座ってみていればいいだけの、積極性の必要ない趣味なので。ほかにも、ゲームみたいな、参入のハードルの低い趣味の集いほど、クラッシュは起こりやすいですね。『受動的な自分にも目をかけてくれる女のコがいる』と思わせることができれば、あっという間に好意を寄せてくれます」(p109)
逆におカタいオタク(鉄道など)は「女のコ以上の興味の対象があるから、クラッシュしにくい」のだそうです。
われわれで例えると、クラッシャられやすい脆弱なサークル順に、
- たまたま居合わせた人同士、「仲良し」サークル
- アニメやゲームをする仲間のサークル、コンテンツ性の少ないイベントサークル、受動的な趣味サークル
- ある競技で上位を目指すサークル、コンテンツ性が高いイベントサークル、積極性が必要な趣味サークル
- 男女比の均等なサークル
どうでしょう。
「サークル」をディスコードに変えてみたら……よくある話ではないでしょうか。
サークルクラッシュの仕方
サークルクラッシュには、①「クラッシャられ」のように姫的な存在にサークルメンバーが恋焦がれていくことが必要です。それにくわえて②無自覚サークラを射止めると、とどめになります。冒頭のゴーリキーの小説では①→②ときれいに進んでおりましたね。
ここではバーチャルサークルクラッシュをする方法として①姫的な存在のなり方(自覚があるので自覚型サークラ)②無自覚サークラへのアプローチを考えたいと思います。
自覚型サークラのなり方
見た目や声、しぐさ等については男受けのよいものを選ぶことがよいでしょう。つまり「可愛いヒラヒラの服か、ゴシック・パンク系」のファッションでしょう。
そのほかに
- 1対1のコミュニケーションする機会を多く作る
- 丁寧な相槌
- 共感を示す
- 同じノリ・言葉(2ちゃん・ニコニコのノリや言葉)
- 八方美人
- 好きな異性がいても自分から告白しない
- likeな好きを伝える
- 相手の話を引き出す
など、「受動的な自分にも目をかけてくれる」「自分のことをわかってくれる」という印象を与えることが大切です。
つまりはこういうことです。
無自覚サークラになってしまった例
無自覚に、八方美人がゆえに上記のような行動をしてしまうとどうなってしまうでしょうか。匿名ダイアリーですが、とても痛い内容が書かれいます。
無自覚サークラへのアプローチ
無自覚サークラは自己肯定感(≒自信)がなく、自分のことが嫌いです。つまり、「私を変えてくれそうな人」「私をどこかに連れてってくれそうな人」が好みです。したがって、ほめるだけでなく、disることが必要なのです。
disることで、ダメ出しをしてくれる人に男らしさや「ダメな私のことわかってくれる」と感じるのでしょう。
そのため自信のあるフリをしましょう。具体的には、カースト上位を目指しましょう。マウントをとりましょう。自信があり自分の価値観モノサシでみたらキミはなんて美しいんだ、みたいなことを伝えましょう。
つまりはこういうことです。
サークラにならない
いままでの記述をまとめると
- バーチャルでは「姫的な存在」になりやすい
- 内向的で自信が低い
- スクールカーストや、過去の「キャラ」など、リアルでのさまざまな経験から、自己評価や自信が低い価値観がある
- 一気に評価が下がるのを気にしている
- 自分自身について、あるいは自分が周囲からどう思われるかについて、いつも考え続け、「自分がダメであることに関しては、誰よりも自信がある」から自己嫌悪してしまい、さらに自己評価が下がる
サークラにならないためには「姫的な存在」であることを避けるのは非現実的だと思います。男女比率は変えられませんので。そうではなく「自己肯定感を低くしない」方向にシフトしたほうがよいと思うのです。上記の箇条書きでは中段だけが、変更可能なものに思えませんでしょうか。
先に述べたように、自己肯定感ではなく自信や自己評価といったもので言い換えたほうがよさそうな概念でした。
これをコフートでいうところの未熟な自己愛だと捉えたいと思います。この自己愛を満たすには3つの方法があるといいます。
- 鏡映自己対象:他人を移し鏡にして自己愛を満たす
- 自分を認めたり愛したりしてくれることで自己愛を充たしてくれる対象
- 理想化自己対象:理想の対象を介して自己愛を満たす
- 理想を引き受けてくれることで自己愛を充たしてくれる対象
- 双子自己対象:自分に似た対象を介して自己愛を満たす
- 自分に似た特徴や境遇を共有することで自己愛を充たしてくれる対象
鏡映自己対象がおそらく一般的な承認欲求の対象にあてはまると思います。自分を認めてくれる他者のことです。そのため、いいねやリツイート数を稼ぐことでも満たされると思います。
理想化自己対象は「推し」だと思います。リスペクトの対象として、自分ができなかった理想を埋め合わせられる相手、またパートナー関係で相手に「足りないところを補ってもらっている」というのもこれに当てはまるのでしょうか。
もしくは、自分のアバターも理想ではありますよね。
双子自己対象は感情移入してしまうほどわかる相手だと思います。似た境遇、似た趣味の人と会話して思い出を共有することは至福です。
(男子でも女子でも)一緒にトイレに行くという行動は、双子自己対象を満たし合うための行動として考えれば、なるほど意味のある行動だったのかと思います。
人はお互いを自己対象として自己愛を満たしながら生きているのです。ですがヘラぎみな私は(われわれは)未熟な自己愛のため、自己対象への要求水準が高すぎるのです。
そして、高い要求水準を相手に期待して失望や不満に陥るのを端から避けるために、自己愛を充たしたい気持ちに蓋をするのです。「裏切られた」とならないために先回りしてもとから「求めていない」と自分に言い聞かせるのです。
対人関係に警戒心を抱いていています。私の論で言うとスクールカーストの例で挙げた、「一気に評価が下がる」のを気にして妥当な・ベタな動きやその場にあったキャラとして動くことしかできないのです。
その一方で、自己対象として期待できそうな相手と認めると極端に高い要求水準を求めて相手にびっくりさせるのです。
ふだんはおとなしいメンヘラ子が、好きになった(なってもらった)とたん、自分の過去・パーソナリティなどさまざまな「ありのまま」も認めてほしいと要求し、「重い」と言われるのと一緒です。
こうした未熟な自己愛の成熟に対して、自己対象へのちょっとずつの失望や“最適な失敗”が必要であるとしています。
ここは教室ではないのだから「一気に評価が下がる」ことを気にしなくてよいのです。
……とは思っていても、結局バーチャルの関係はサークルという小集団の営みになりますし、そこでは先のブログにのせたようにカースト意識をしてしまっても仕方ないかもしれません。
ただし、サークルは教室よりもっと軽いもので、行き来自由なはずです。
バーチャルのアカウントも作り直しが可能なはずなのです。
なぜか、固定メンツに対して、ただ一つのアカウントでバーチャルすることがよいというイデオロギーを感じます。が、自己愛の成熟を考えると、というかそもそもそれが良いという事実さえなく、無視して構わないものではないでしょうか。
自己愛に関しては以下を参考にしました。
リアルとバーチャルの連続性、むしろスクールカーストなどリアルでのイニシエーターが根にあり、バーチャルがそのプロモーターとして役割を果たしてしまっていると、一連の流れを記述し終えたときに感じました。
そこでは転生可能な流動性が自己愛のプログレッサーとなるのだと希望をもち、『オタサーの姫』の感想としたいと思います。
参考
- オタサーの姫―オタク過密時代の植生学
- サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか
- 「助けて」が言えない――SOSを出さない人に支援者は何ができるか
- 「非モテ」からはじめる男性学
- 教室内カースト
- キャバ嬢接客マニュアル
- ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群
- クズ男と関わるとなぜ離れられない?
- かんたん自己心理学