話し上手になりたい

この記事は前回スペースで話した内容をまとめたものです。

 

 

話し上手になりたい。

 

話、会話といっても、何種類かあると思います。ここでは大きく2種類にわけてみようと思います。ひとつ目は多人数での会話、もうひとつは1対1での会話。この2種類だけでも、だいぶ印象は違うかなと思います。

 

 

 

多人数での会話はカラオケに例えられると思います。発言をしている人が、マイクを持っている人、それ以外の人が歌を聞いている人にあてはめることができます。歌詞の内容、つまり話の内容を聞いている人もいれば、雰囲気だけ聞いている人もいます。

ある程度歌ったら(発言したら)次の人へ渡す。こういった会話は、なんとなく楽しいという雰囲気を共有するのに向いています。つまり、一体感をもとめて会話をしているのです。会話の内容というよりも、会話を続けるという状態の継続にその本質があるのです。

だから、雰囲気、ノリ、といったものをもとめているので、悪い言葉を使うと同調圧力がかかるので、それぞれの個性を発揮しにくいといったデメリットがあります。

そんな同調圧力がかかったなかでも発揮できるのは「キャラ」といった個性とは別の属性ではないでしょうか。いじられキャラ、毒舌キャラ、天然キャラ、そういった空気の読みあいの中で形成された、造られたパーソナリティであれば、いやむしろ同調圧力によって形成されたパーソナリティであるからこそ、こういった会話で個性のようなものを発揮できるのではないでしょうか。

われわれはこの「キャラ」を確認しあうことで、会話の継続を行っているのです。意味のない会話と一言にいっても、会話を続けるためにお互いのキャラとしての特徴を言い合ったりして、安心感を得られる、という意味で有意義な会話なのです。

多人数で話すとき、バラエティー番組のひな壇芸人のようなボケをして、司会者のようなツッコミをすることでコミュニケーションをとっていませんか? 飲酒して暴れる・下ネタをいう、それに対して介抱する・下ネタやめろなどという・さらに下ネタを重ねる、どうでしょう、身に覚えはありませんか?

「会話しているという状態の継続」が本質なので、ボケとツッコミのような予定調和な結果に安心感を得られるのです。逆に、悩み事だとか、誰もついていけないギャグだとかは「しらけ」を生み、場の空気を乱すのです。マジなことは誰も求めていないのです。ネットミームを発音し、ときには適度に言葉遊びをし、わかっていながらズレた答えを言い、ツッコミを誘い、発言権を相手に譲渡するのです。

 

 

 

少人数での会話もカラオケなのですが、こちらは雰囲気というよりも話の中身に重心が置かれると思います。

多人数での会話では、雰囲気重視であったり、話たい人が競争しあったり、譲渡し合ったりします。しかし、少人数、とくに1対1では会話の主導権は片方に傾くことが少なくありません。

つまり、「話しすぎる人」です。

この「話しすぎる人」は、自分ばかり発言しすぎてしまう「おしゃべりさん」と、自分のことばかり話してしまう「構ってちゃん」の2種類にわけられると思います。

「おしゃべり」さんは、カラオケでいうとマイクを渡さずに自分ばかり歌ってしまう人。「構ってちゃん」は相手に発言権は渡すのですが、トークテーマが自分の内容・お悩みばかりの人。

キャバクラなどの接待は「おしゃべりさん」を気持ちよくさせるためのものです。

よく「話し上手は聞き上手」という説をみますが、私はなんとも納得できていません。それって、自分ばかり話す人「おしゃべりさん」の存在を受け入れることにもなるからです。聞き上手になろう、と決心した側が損をくらうのはいかがなものかなと思うのです。自然の会話はキャバクラではないのです。

 

一方、相談というのはその構造的に片方が「構ってちゃん」にならざるを得ません。

そもそも、深い会話をする場合というのは、会話を通じて、相手の「キャラ」ではないパーソナリティを知りたい、自分のパーソナリティを知って欲しいわけですからトークテーマは自分・もしくは相手に関わることに偏ってしまうのは仕方ありません。

ですので、相談などの深い会話ではない場面を考えてみたいと思います。
不意に1対1になったときに、どうやって場をつなぐか、と考えるといいかもしれませんね。

 

 

 

じゃあ、どうすれば話が上手になれるのか、というところにもどってくるのですが。

自分ばかり発言せず、自分のことばかりテーマにせず、そして聞く側にも回り続けない。となると、けっこうしんどいですね。

ここで、解決策のひとつになるかもしれないものを本でみつけました。桃山商事の『生き抜くための恋愛相談』という本に書いてあったのですが、自分と相手だけではなく相手の関心事、趣味、コンテンツ、仕事など、パーソナリティ以外の部分の話をする、そういった無機物の第3者をテーマにすることで、自分のことばかり話すといったことから回避できるというのです。また、自分も相手も発言しやすくなり、一方的な立場にはなりにくいのです。そして、その会話を続けるなかで、相手の輪郭を知ることができると思います。

 

よく、会話を続けるためには相手を好きになれ、興味をもてとかいう説明を受けることがあると思います。ですが言葉そのままの意味ではなく、(相手はどうでもいいけれど)相手が興味をもっているコンテンツに興味をもつ、もしくは、これなら興味もてそうだなってものを見つけることを指しているのではないでしょうか。それこそ、会話術の王道、自分と相手の共通点を見つけるといった作業はこれに該当しますね。例えば、目玉焼きに何をかける? だとかそういった中身のない会話でもいいと思います。

 

 

 

さて、中身のある会話、つまり深い会話はお悩み相談の意味をもっているため「構ってちゃん」にならざるを得ないのでした。(それは悪いことではありません)

 

一方、中身のない会話は2つにわけられ、
すでに定められた「キャラ」という共通の設定やネットミームなどの共通言語で同質であることを確認し合うのが多人数での中身のない会話。対して、今はない共通点を探していくために行うのが1対1での中身のない会話でした。

 

おそらく話し上手な人は、「5人以上いるから、場のノリにあわせた中身のない会話をしよう」「3人だけど初対面だから共通点をさがすために中身のない会話をしよう」「なにやら不機嫌だから、聞きに徹して、気持ちを静めてやろう」といったギアチェンジがなめらかに行える人のことを指すのではないでしょうか。

 

 

 

私はなかなかできずに、「構ってちゃん」になったり、聞きに徹したり、もしくは話過ぎてしまうことがあります。気付いたときには、わって話しかけたり、相手にパスするようにしています。自然の会話はキャバクラではないので、相手ばかり気持ちよくさせず、自分ばかり気持ちよくならないよう、気を付けていきたいです。