【連載 土井ノート②】内なる他者のキャラ化、固定化

 

土井隆義 著の岩波ブックレット4冊を読みました。

その読書まとめノートを【連載 土井ノート】として記述していきます。

 

【連載 土井ノート】

  1. 『「個性」を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える』(岩波書店,2004)
  2. 『キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像』(岩波書店,2009)
  3. 『つながりを煽られる子どもたち ネット依存といじめ問題を考える』(岩波書店,2014)
  4. 『「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの』(岩波書店,2019)

 

今回は2009年に発行された『キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像』についてです。

 

キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像

 

 

 

 

 

キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像

 

 

コミュニケーション偏重の時代

若者のグループ内でのコミュニケーション
以前……外部の敵に立ち向かうことで仲間から肯定的な評価を受けた
現在……グループ外部は他者性がない、圏外
⤷ グループ内での人間関係が活性を失い、敵へ向けていたエネルギーが発散されずグループ内での人間関係に圧力がかかる

お互いの関係を維持していくのに他者を利用することができない
⤷ 関係のあり方自体を自覚することによって維持せざるを得ない
⤷ ボケ・ツッコミのコミュニケーションによる予定調和な結果によってそれを自覚
⤷ 摩擦のないフラットな関係、「優しい関係」

 

多様性を奨励する文化へ
以前……学校文化を反転させた独自の文化に同調することによって自ら肯定感を担保
⤷ 学校文化という抽象的な他者からの反転=非行
現在……個々の場面で具体的な承認を周囲から受けることによって評価が定まる
⤷ ウケを狙えるか否かが自己評価に関わる
⤷ 身の回りの他者という具体的な他者からの評価に依存
⤷ コミュニケーション偏重

 

価値観が多元化し、人びとの関心対象が千差万別になった世界で、相手の反応を敏感に読み取ってつねに良好な関係を保ち、相手からの評価を得やすいように自分の個性を効果的に呈示し続けるのは非常に困難なことです。しかし、それは同時に、自己肯定感を保っていく上で必須の営みでもあります。そして、その営みをこなすために必要となるのは、なんといっても他者と円滑なコミュニケーションを営む能力でしょう。
スクール・カーストでの生徒たちの序列づけも、勉強やスポーツが得意か否かによってではなく、友達と一緒にいる場を盛り上げ、その関係をうまく転がしていけるようなコミュニケーション能力の高低によって決まっています。(p17)

 

memo

  • 外部に発散させることで安定化させていたが、困難になり、内部で不安定に
  • 関係性それ自体を再認識することで安定化→「優しい関係」
  • ウケを狙うことによって自己肯定感を得る

 

アイデンティティからキャラへ

アイデンティティ……いくども揺らぎを繰り返しながら、社会生活の中で徐々に構築されていくもの
キャラ……あらかじめできあがっている固定的なもの
・外キャラ……対人関係に応じて意図的に演じられるキャラ
・内キャラ……生まれ持った人格特性を示すキャラ
※ 内キャラ≠アイデンティティ

 

ある場面ではみとめられる価値も、別の場面では否定・無意味化されることが多くなった(価値観の多元化)
⤷ 一人の人間として多面的に接してくれることではなく、キャラを一面的に演じる方が負荷がかからない
e.g.) メイドカフェ
⤷ 外キャラを演じることによって不透明な関係性を透明化させている

・リカちゃん人形……ネオテニー化(幼形成熟
・大衆コミック……ストーリー展開よりキャラクターたちの造形描写でひきつける作品の増加
⤷ 役割分担娯楽「羅列されたエピソードの順番を入れ替えたとしても作品に影響はない」(荷宮和子
⤷ キャラクターに成長がないから
⤷ 内キャラの「本当の自分」はネオテニーや役割分担娯楽のように変化しないキャラクター像
いかに生きるべきかの羅針盤が存在しないため、不変不動な淳拠点として内キャラ

 

1980年代までの成長する社会……「私はどこへ行くか」が問われる
それ以後の成長の止まった社会……「私はどこから来たか」が問われる
⤷ 未来は現在の延長線上でしかありえないから

 

「生まれもった素質によって人生は決まる」という感覚が広がっている
⤷ 頑張らずにいい結果を出す方がかっこいいという価値観
前近代……身分制度によって抑圧され、やむなく希望をあきらめていた
近代……身分制度が撤廃され、自由化が進み努力と成長が賞賛
現在……「生まれもった素質」による宿命主義

たとえば、いくら天才的なピアニストであろうと、そもそも日常的にピアノに触れさせてくれ、定期的にレッスンに通わせてくれるような恵まれた生育環境になければ、その才能に目覚めることも難しかったでしょう。したがって、今日の新しい宿命主義も、じつは前近代的なそれと本質的に違ってはいません。作られた素質にもとづく待遇の違いを、合理的なものと思い込まされているだけなのです。(p36)

 

memo

  • 外キャラ……コミュニケーション円滑化のために固定的な人格像
  • 内キャラ……人生価値観のモノサシとして固定的で単純な人格像
  • 未来に変化を期待できず前近代的な宿命主義

 

キャラ社会のセキュリティ感覚

大人も子どもと相似
・親子関係……「友だち親子」双方とも「上から目線」を嫌悪し関係がフラット化
・学校教育……「サービス化」教師が「上から目線」でいるとお客様(生徒)を大切にしない不満といえる
⤷ 教育が新たに能力を育んでいく「指導」ではなく、生まれもった素質を開花させる「支援」に感じている
モンスターペアレント問題
⤷ 教師も「友だち」のようにフラットにふるまう

現在の日本を見渡してみれば、理解不能な相手をモンスターとみなす傾向は、なにも教師だけのものではないようです。この言葉がこれほど社会に浸透したのは、学校関係者を超えて一般の人びとの共感も得たからでしょう。今日では、立場の異なった相手と意見を戦わせて理解しあうのではなく、異物とみなして最初から関係を断とうとする傾向が強まっているようです。(p45)

 

包摂型から排除型へ
「少年犯罪者の矯正は可能と思うか」7割がそう思わない、刑事政策の厳罰化
⤷ 犯罪者の特性を社会的な産物とみなさず、生来的な資質とみなし矯正不能なモンスターと捉えるため厳罰により排除する

生まれた環境は、自分で選んだ結果ではありません。したがって、そこまで自己責任を負わされるのは不合理です。「環境に屈せずに努力すべきだ」という批判は、確かに一面では正論です。しかし、前章で天才ピアニストを例に挙げて説明したように、努力しうる資質もまた環境のなかで生まれていくものです。(p51)

 

memo

  • 大人もフラットな関係「優しい関係」を望む
  • 構造的な権威を「上から目線」として批判
  • 異質なものを排除する「優しい関係」は厳罰化からもみられる

 

キャラ化した子どもたちの行方

これまでの議論のまとめ
・以前まで
コミュニケーションしたい相手との間に不都合な存在を経由しなければならなかった
⤷ 心地よい人間関係を築くためには、同時に不都合な人間とも否応なく付き合わざるを得なかった
・近年

時間と空間の制約を超えて異質な人々がつながり合うことが可能になった
⤷ 不都合な人間を返さなくても同質な人びととつながり合うことが容易
・ネット

アバター……人間のキャラ化
⤷ 特定の情報だけを送受信し一面的な人格イメージを意図的に操作しやすい
アイデンティティからキャラへノイズをカットすることで「同質っぽさ」を作りやすい

 

常時接続
自己肯定感の揺らぎを手っ取り早く解消しようとして同質な人間だけで固まってしまいがち
⤷ 人間関係を異質な他者へと広げていく手段としてケータイを用いない
⤷ フィルタリングにより見知らぬ他者を規制することにより促進

 

したがって、彼らの犯行は、人生を悲観してといった単純なものではなく、自滅的な行為をとおして自分の存在を誇示し、その生の濃密さを実感したいという人生最大の賭けでもあったように思われます。どうせ自滅するなら、たとえ一瞬でも周囲から注目を浴びることで、その生の希薄さを帳消しにし、自らのキャラを際立たせたいという思いがあったように感じられるのです。(p57)

 

現在の若い人は現在の自分を絶対視してしまいがち
⤷ 生まれもったキャラと感じるようになっているから、将来もそうに違いないと思う
長い人生のなか、つまずくことはある

⤷ 異質な「不気味な自分」と出会ってしまう
以前……不気味な他者と付き合うことによって「不気味な自分」への対応策もまなんでいた

現在……同質な存在のみと付き合っているため「不気味な自分」への対応策がわからない
そもそも、いくつもの相互に異なる人間関係を多元的に営むことで複数の視点から自分を相対化できる
人間関係への強迫観念から解放され、真に自己の安定を得るには、一時的に自己肯定感が揺らごうとも、異質な他者と付き合っていかなければならない

 

「不気味な自分」
そもそも、自己とは対人関係の中で構築されていくもの

「不気味な自分」と向き合い、その生きづらさになたんでいる人たちには、そして、その原因を水からのうちに求めようとし、自己のキャラ化に走ろうとしている人たちには、そのまなざしを自らの内部へ向けるのではなく、むしろ外部へ向けてもらいたいと思います。(p61)

流動性を増す社会の中で価値観も多元化し、多様な生き方が認められるようになったのに、いや、だからこそ確固たるありどころのない存在論的な不安から逃れようよして、付き合う相手をキャラ化して固定し、そして自分自身もキャラ化して固定し、許容しうる人間の幅を極端に狭く見積もるようになっています。そんな隘路を乗り越え、人生に新たな希望を見出すためには、多種多様な人たちとの世代を超えた出会いと共闘がどうしても必要です。(p62)

 

memo

  • 常時接続により同質な存在と閉じたコミュニティ内でしか交流していない
  • 人生のつまずきによって自分の異質性「不気味な自分」と出会うが、コミュニティ内ではその異質性をさらけ出せない(排除されるから)
  • 多元的な人間関係を営むことにより自己を相対化させ安定を得るべき