なぜフェノールは抗酸化作用があるの? 理科の学びなおし

前回の記事ではフェノールが酸性を示す理由を調べました。

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今回は抗酸化作用について考えていきたいと思います。

 

抗酸化作用とは、名前のとおり酸化に抗う作用です。そもそも酸化とは、電子のやりとりによって発生するものでした。この電子を捕捉することによって酸化反応を停止させる働きがあります。

電子を・、フェノールをArOH、基質をRまたはROOHとした式ですと以下のようにあらわせます。

 

ROO・ + ArOH ⇆ ROOH + ArO・

R・ + ArOH ⇆ RH + ArO・

 

フェノールArOHがフェノキシルラジカルArOH・になるということは、O-H結合が解離していることを指します。

つまりは、O-Hの結合解離エネルギーが他の物質と比べて低いことと言い換えることができますね。

 

これは前回同様にArO・が共鳴安定化するため、エネルギーが低い、そう説明されています。

 

 

 

それでは同じくO-H結合のあるアルコールやカルボン酸は抗酸化作用がないのでしょうか?

まず、アルコールR-OHは一般に共鳴安定化することができません。実際アルコールには抗酸化作用がありません。ですので、共鳴安定化という説明でよさそうです。一方カルボン酸R-COOHは二重結合が隣接するため共鳴安定化することができます。しかし、カルボン酸には抗酸化作用がないのです。

つまり、共鳴構造式が書けて安定化すると説明することに難があるのです。

 

そもそも、フェノールよりカルボン酸の方が酸性が強い、RCOOHのO-H結合が外れやすいのです。

したがって、結合の外れやすさのみで議論するのも難しいのです。

 

 

 

話を整理しましょう。

❶抗酸化作用とは電子・を捕捉する作用を指します。
❷捕捉するためには、もともとある結合を解離しなければなりません。つまり結合の解離しやすさが、抗酸化作用の強さと表現できそうです。

 

❸一方酸性の強さはRO-HがRO⊖とH⊕への電離しやすさと表現することができます。

 

❹フェノールのArO-HのOとHの結合は外れやすいです。
❺一方、カルボン酸のRCOO-HのOとHの結合は、フェノールより外れやすいです。

 

❻ ❹と❷より、結合が解離しやすいので、フェノールは抗酸化作用があります。

❼ ❺と❸より、結合が解離しやすいので、カルボン酸の方が酸性が強く、フェノールの方が酸性が弱いです。

 

❽ しかし、❺よりカルボン酸の方が結合が解離しやすいのに、カルボン酸には抗酸化作用がありません。

 

 

 

これは、結合解離という現象が2種類混在しているため起こり得るパラドックスだったのです。

共有結合とは、お互いに最外殻電子を1電子ずつ共有しあってできる結合でした。ArO・と・HがArO:Hの状態になるわけですね。

この結合の外れ方は①もとのArO・と・Hになる均等開裂、②ArO:⊖とH⊕になる不均等開裂の2種類存在します。

 

実は①の均等開裂のしやすさを示すのが結合解離エネルギーなのです。フェノールとカルボン酸ではおよそ100kJ/molほどの差があるといわれています。カルボン酸は①はしにくく②が起こりやすいというわけです。

 

 

 

さて、それでは話は元に戻ります。O-Hの結合解離エネルギーが他の物質と比べて低い理由はなぜでしょう。

 

フェノキシルArO・の静電ポテンシャルをみると、対称的に分布していることがみられます。計算によるとHOMOとSOMOのエネルギー差が少ないようです。SOMOは1電子の場合の考え方です。もとの HOMO を SOMO、もとのLUMO を SOMO’とするとわかりやすいと思います。つまりは、ひろく局在化していないことを意味します。

 

こういうのを一般に共鳴安定化と呼ぶのかもしれませんが、共鳴構造式を書ける書けないだけでは応用できない話題でした。

 

なぜフェノールは酸性なの? 理科の学びなおし

フェノールはベンゼン環に-OH基がついたものです。

 

 

 

 

 

-OHがついたものはほかにもアルコールやカルボン酸があります。

この中で、カルボン酸・フェノールは酸性を示して、アルコールは中性であるといいます。カルボン酸はともかく、フェノールが酸性を示すのはいったいなぜでしょうか。

 

 

 

wikiのこたえ

wikipediaには以下のように書いてあります。

芳香環の共鳴効果によって共役塩基のフェノキシドイオン(またはフェノラートイオン);C6H5O-が安定化されるため、同じくヒドロキシ基を持つアルコール類よりも5桁以上高い酸解離定数 (pKa = 9.95) を示す。



 

ですが、どうやらこれだけでは説明には不足しているというのです。

 

 

 

Siggel先生のこたえ

M. S. Siggel, et al(1986)によるとフェノキシドとカルボキシレート・アルコキシドの安定性には差がないといいます。

 

対して違いがあったのは、-O-HのHが+性を帯びていたということです。

 

つまり、一般的にいわれている「H+が外れたイオンの状態が安定だったら酸性が強い」とは逆で「H+が外れやすかったら酸性が強い」のです。

 

 

 

Siggel先生の考え

ここでカルボン酸とフェノールにはあって、アルコールにはないものを考えます。

 

カルボン酸→カルボキシレートはC=O二重結合が、
フェノール→フェノキシドにはC=C二重結合が、
対してアルコール→は単結合ですね。

 

さて、二重結合ということはsp2混成軌道であることが関係していそうです。

 

sp3混成軌道よりもsp2混成軌道のほうがs性が大きく、つまりは原子核からの距離が近く、電子を引き付ける力、電気陰性度が高いのでした。これが答えになりそうですね。

 

カルボン酸・フェノールのO-H間の電子は、O側により傾いていて、H+が外れやすい環境にあるといえます。

 

 

MOで考えてみる

具体的に酸の解離を考えます。つまりは水溶液中でイオンになるわけですね。

-O-HのH+が外れて、-O⊖になるのです。これは、水H2Oによる求核的な反応と考えてよいでしょう。

 

求電子剤は同じH2Oなので、HOMOは同一条件。求核剤のO-HにおけるHのLUMOを求めれば反応性がわかりそうです。山口達明先生の本にデータがあります。

酢酸は0.267、フェノールは0.336、アルコール(t-ブタノール)は0.076と大きく異なります。値が大きい方が求核反応を受けやすいのでした。

 

このようにMO理論からも補足できました。

 

 

 

学びなおしまとめ

フェノールはなぜ酸性を示すの?

よくある回答:H+が外れたイオンであるフェノキシドイオンが安定だから

今回学びなおしたこと:H+が外れやすいから

 

 

 

 

補足

 

アルコールが単結合なのは、アルコールの根元の炭素にC=C二重結合があるビニルアルコールはケト型に変わってしまうのでした(ケト-エノール互変異性)。

ja.wikipedia.org

 

 

撤退

「完璧主義ではいけない」というのは誰もがわかっていると思います。しかし、ある程度のクオリティをもとめることはやめられません。むしろ、資質が低い人なのだと思われるのが嫌です。そういった後ろ向きの理由から目標を高くもちすぎてしまいます。

さまざまなストレッサーはもとをたどれば高すぎる目標、その執着ゆえんなのかもしれません。いいえ、それはわかっているのに、その執着心をおさえられないのです。

 

こういうのを「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というのでしょう(中島 敦)。

www.aozora.gr.jp

www.youtube.com

 

 

撤退

この年齢になってくるともう身体的成長がなく、老化する一方なんだなあと思うのです。というよりも、脳も身体も心もガタが来るというのが、嫌でもわかるようになったというのでしょうか笑

 
ああ、自分は秀才ではなかったんだなあ、と。最前線に行くような人は特別な人で、自分はどちらかというと真ん中より後ろ側だったんだなあ、と。受け入れざるを得ないのです。

 

 

受け入れるという作業はとても辛いです。

まず、認識すること。自己のキャパシティの低さを認める必要があります。

そして、低スペックさを補うために誰かの助力をもとめます。それができない場合は訂正や修正を繰り返してクオリティをあげます。

最後に、未熟な成果物を世に出したことや失敗したことによる羞恥心などの負の感情を忘却します。

 

 

先に述べた完璧主義思想がゆえに、受け入れることがなかなか難しかったのですが。衰えを自覚したのをきっかけに、だんだんとできるようになってきました。

 

 

認識、訂正、忘却。こうして社会人とか大人とか、ちゃんとした人だとか、そういったレースの最前線から撤退したのです。

 

 

これがラジオだったらCreepy Nutsのかつて天才だった俺たちへを流しているでしょう。

 

youtu.be

 

 

 

再挑戦

いいこともあります。自分のキャパシティを見積もることができるようになったので、どれにどれほどのコストをかければよいかという概算がつくようになったのです。もちろん休息を考えて。

 

昔苦手だった読書や運動も、自分の限界がわかるわけで目標ややめどきがつけやすく、そういったものに再挑戦するのが楽しくなってきたのです。

 

VRでイベントキャストをするのも、自分のキャパシティを考えたうえで、スキルが上達していくのがみれて楽しいのです。

 

例えばスポーツも、部活動だとやらされている感や体育会系のノリがきつかったと思います。しかし、できない側であるという受容をした後は、それでも身体を動かしたり得点を決めたりすることが楽しくなると思うのです。

 

 

最近は、完璧を求めすぎないができるだけ目指すという文化、臨場感を共有するコンテンツに興味があります。

 

例えばRTAです。厳密に完璧を求めるならばTASには勝てないのですが、そうではなく人間として高みを目指すことに面白さがあります。またランキング上位だけに意味があるのではなく、ライブ配信をみることで一緒に盛り上がることができます。スポーツ観戦に近いのでしょう。応援したくなりますよね。

 

また、DJプレイも楽しいです。最近になって音楽を聴き始めたのですが、それでも選曲する楽しさ、一緒に盛り上がることのできる環境がいいです。未知のよい曲を知るきっかけにもなります。また、スキルという面でも成長をすることができます。

 

昔は陽キャの文化だと思っていたものが、できない側であると受容することによって、自分も楽しめるようになってきたのです。

 

衰退がゆえの自己受容は、そんな昔は苦手だった物事を見つめなおすきっかけに、むしろ変な色眼鏡を外してみるきっかけになりました。

 

 

乱文ですが、高校のころ、嫌いだった先生が勧めてきた曲で〆ようと思います。

 

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ノート:現代文解釈の基礎 論理的な文章 Ⅰ

現代文解釈の基礎 ノート

 

論理的な文章(p225~)のうち
Ⅰ 解釈の基本 1~3についてのノート

 

 

Ⅰ章の構造

単語→文→段落→全体……と理解の対象が大きくなっていく構造

1 一語一語の内容 難解な語を理解する

2 一文一文の内容 一文一文の内容をおさえていく

3 段落の要旨 段落の要旨を一つ一つおさえていく

4 全体の要旨 全体としてどういうことが論じられているか

 

 

 

1 一語一語の内容 難解な語を理解する
  1. 指示詞(こ・そ・あ・ど)
    ・同じ言葉を繰り返し使いたくない→指示語にする
    ・逆にいえば指示語にしている言葉は何度も繰り返している内容、主張
  2. 論者自身が下す説明
    ・日本語において接続詞は省略することが可能
    ・逆にいえばわざわざ接続詞を用いているのは強調表現
    ・「すなわち」「つまり」などの要約、「したがって」「だから」などの因果関係、「たとえば」などの例示の後ろに来ることが多い
  3. 言い換え語句
    ・抽象的な主張には言い換え表現や例示で解像度をあげている
  4. 対義語
    ・逆の説明をすることで、持論の厚みを増している

 

 

 

2 一文一文の内容 一文一文の内容をおさえていく
  1. 主語・述語の抽出
  2. 重要な修飾語
    →1.2.まとめて 述語にもっとも影響を与えそうな修飾語(主語も修飾語とみなす)をみつける
  3. 指示語
  4. 言い換え語句
    →3.4.まとめて 
    ・同じ言葉を繰り返し使いたくない→指示語、言い換えにする
    ・逆にいえば指示語や言い換えは何度も繰り返している内容、主張

 

 

 

3 段落の要旨 段落の要旨を一つ一つおさえていく
  1. 繰り返される同一語句
    ・段落の題目、テーマであることが多い
  2. 類義語、言い換え、対義語
    ・題目に対する論者の把握、つまり主張であることが多い
  3. 段落の中心的解説を見つける
  4. 段落の要旨を位置づける
    ・段落の説明、何がどうだ、テーマと主張をまとめる
    ・「何が」:テーマ → 1. 繰り返し、同一語句
    ・「どうだ」:主張 → 2. 類義語、言い換え、対義語
    ・まとめる → 3. 段落の中で「何が」「どうだ」と述べている文を探す

 

 

積極的な受けで主導権を握る

会話において「主導権」ってあるよなあと思うのです。

それについてのブログとなります。

 

 

 

 

会話の主導権

会話による情報伝達の主導権維持には4つの方法があるといいます(李 麗燕)。

  • 持続表示……「それでね」「つまり」などの接続
  • 注目要求……「ほら」「あのね」、語尾の延長「~さー、なんだよねー」、同一語句の反復、上昇音調
  • 時間稼ぎ……「えー」「あのー」「んー」
  • 他者無視

これは一時的な情報伝達における、発言としての行動ですので、みながまんべんなく行っている行動だと思います。

 

ですが、私はこれにパーソナリティやキャラによって志向や偏りがあるのではないか、と思うのです。

つまり、日常的に行っている会話、多人数で行う他愛ない会話に関して。主導権維持の志向性、クセがあるのではないか。そのクセはその人のキャラと関係しているのではないか、ということです。

 

ここでいう他愛ない会話は、情報の精度や新規性などが重要なのではなく、会話することそれ自体が重要なのです。そのためには、相手に伝達した情報の理解に要する力が少ない方が好まれます。つまり、簡単な話、共通の話題、内輪ネタ、予定調和な展開などです。

 

そういった低刺激な情報の主導権をどうやって握っているのでしょうか。

もちろん、上記の4つの方法もあるでしょう。ですが、もう少し大きな枠で、「話の流れ」のようなものの主導権について考えたいと思います。そのためにまず、会話そのものを俯瞰してみましょう。

 

 

 

会話の役割

会話は2者と3者以上で役割や性質が大きく異なるといいます。

 

2者間の会話における役割は次の2つです。

  • 話し手
  • 聞き手

 

対して、3者以上の会話における役割は次の3つです(Clark & Carlsonの分類)。

  • 話し手
  • 受信者……次の話し手になる聞き手
  • 傍参与者……話し手にならない聞き手

 

「話の流れ」を考えると、それを握るひとつの要素は発言権奪取にあるでしょう。そもそも話し手でなければ情報伝達の主導権維持はできませんからね。発言権奪取は話し手になることです。つまり、話し続けること、もしくは次の話し手になる「受信者」になることでしょう。

 

この分類は発言権、カラオケでいうマイクを持っている人に注目した分類方法です。カラオケは順番に歌うというルールが無意識的に働きます。しかし、会話にはそれがありません。コミュニケーションスキルやパーソナリティ、キャラが発言権取得に関与しているといわれています。

 

どのように関与しているかは、詳細は不明のところが多いです。そこで、会話における動作に、とくに積極的か否かについて着目してみることで、キャラとの関係性を考えてみたいと思います。

 

 

 

話す・聞くという動作

話す・聞くという動作はそれぞれ性質の異なるものです。話すというのは能動的な動きで、対して聞くというのは受動的な動きです。積極性を考えると次の3つに分けられるのではないでしょうか。

  • 積極的に話す……積極的な能動性、話し手であり続ける
  • 積極的に聞く……積極的な受動性、聞き手であり続ける
  • 消極的に会話する……その他

会話におけるスタンスと言い換えてもいいでしょう。

 

ところで、聞き手は受信者と傍参与者に分けられました。つまり、積極的に聞くことは細分化できます。

  • 積極的に受信者になる……次の話し手になろうとする
  • 積極的に傍参与者になる……次の話し手にならないようにする

このなかで積極的な受信者が会話の転換点になることは容易に想像できると思います。会話をキャッチボールでいうのなら、ボールを受け取って投げ返すことが上手な人です。

 

 

 

積極的受信者のキャラ

話し手からのバトンを受け取ったという表明を表すために、会話を始めるためにとる行動は情報伝達の主導権維持に共通するように感じます。とくに持続表示と注目要求です。

  • 持続表示……「それは……」「なるほど……」
  • 注目要求……「あー」「はいはい」

こういうバトンを受け取りましたというアピールはみなが行うことです(アピールという点でおおよそ注目要求に入るのですが)。

 

ここで、冒頭に書いた私の仮説が出てくるのです。こういったアピールの志向性はパーソナリティやキャラによるものではないか、ということです。

  • 持続表示……話題の内容に主軸があるようにふるまう
  • 注目要求……話者に主軸があるようにふるまう

パーソナリティよりもキャラに注目してみます。パーソナリティは内なるものですが、キャラは世間的な同意を求めるもので、他者との関係上成り立つものです。

持続表示キャラと注目要求キャラがあるとして考えると、スッキリするように思えます。以下それがあると仮定しての話です。

 

持続表示キャラは「話題の内容に主軸があるようにふるまう」ように話し手に思わせる効果があります。同じく、注目要求キャラは「話者に主軸があるようにふるまう」ように話し手に思わせる効果があります。

これらはキャラですので、話者間の共通認識になります。ですから、話し手が「こういうこと言ってほしいんだな」だとか、もしくは無意識に抑え込まれ「あまり考えずに話してた」だとかいう場合は、聞き手のキャラを理解して、聞き手が受け取りやすいように話を振っているということでしょう。

 

 

 

「話の流れ」の主導権

少しまとめてみましょう。

 

「話の流れ」のようなものの主導権について考えているのでした。

主導権を得るひとつの方法は、話し手になること、発言権奪取でした。

発言権の取得には、話し手でありつづけること、そして次の話し手である受信者になること、この2つの方法があるのでした。

積極的な話し手になる人はおしゃべりな人です。

積極的な受信者になるのは2つあって、ひとつは話の内容を展開させてつなげるパターン(持続表示キャラ)。もうひとつは、とりあえず話し手になるパターン(注目要求キャラ)。

これらパターンはパーソナリティというよりもキャラとして定着・共通認識されているものだと私は考えるのです。

 

とくに他愛ない会話を考えると、内容の重要性はありませんから注目要求キャラ的な志向がその会話を円滑にさせると考えられます。

 

 

 

いじられキャラ

ここまで私もまとまりきっていないことを書いていたのですが、これがいいたかったのです。

 

注目要求キャラとはいじられキャラである。いじられ内容は既知のもので内容の新規性はない。けれども、他愛ない会話、会話していること自体が重要な場面ではとくに問題視されない。

そのキャラとして定着・共通認識されているからこそ、話し手も聞き手も何を言えばどういった反応をしてくれるのか/すればよいのか、ある程度理解できる。だから会話のパスを出しやすい。円滑な会話ができる。

いじられキャラであることは「おしゃべりな人」という属性を避け、積極的な受信者として会話の主導権を握ることである。

 

……ということです。

 

 

 

わたしはなかなか難しいなと思って、そこまで至れないのです。

むしろ、私は積極的な持続表示キャラとしてあり続けたいなという理想があります。

 

 

 

 

参考

 

 

転生の可能性

以前のブログで、転生可能性が自己愛のプログレッサーであるのではないか、と書いたことがあります。

 

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長い記事だったので、あらためてまとめてみます。

 

 

ひとつは自己愛

ここでいう自己愛とはコフートの話でした。自信や自己評価といったものと言い換えることができるものでした。これは鏡映自己対象、理想化自己対象、双子自己対象によって満たすことができるという論でした。

悩めるわれわれは、この自己愛が満たされてない状態にあるのではないか? という仮説です。

 

 

ふたつめは小集団

固定メンツというサークル、内輪という世間のことです。界隈といってもいいでしょう。そこではスクールカーストに似た閉鎖的な空気感があるのではないでしょうか。もしそうであれば、維持していたキャラが崩れると評価がガタ落ちして、界隈で認められなくなるのではないか? という仮説です。

 

 

自己愛と小集団の仮説から

小集団の構成員を自己対象にして自己愛を満たしているのならば、質の低い自己愛になってしまうのではないか、ということが考えられます。

言い換えると、固定メンツの内輪ノリだけでは、褒められる・尊敬する内容や相手は限られてしまって、そこでは十分に満たしきれていないものがあるのではないか? 真の個性ではなく抑えられた「キャラ」として演じるだけでは十分な自己愛が満たせないのではないか? という問題をあげています。

 

 

それに対して界隈を移動することがひとつの対応策だろうと提案しています。

 

 

結びを格好つけて書いてしまったのですが、読みにくいかもしれないので、補足です。

リアルとバーチャルの連続性、むしろスクールカーストなどリアルでのイニシエーターが根にあり、

VRChatでわれわれが過ごしている界隈の世間は、とくに空気であったりイデオロギーであったり、リアルと地続きです。

例えば、学生時代のスクールカーストのようなキャラを作り合う空気の読み合う関係が今でも続いているのではないでしょうか。

イニシエーターとは腫瘍の分野でいうDNA損傷物質で、いわゆる起爆剤です。

 

バーチャルがそのプロモーターとして役割を果たしてしまっていると、一連の流れを記述し終えたときに感じました。

VRChatという2.5次元はよい意味でも悪い意味でもデフォルメされるものです。

バーチャルだから今までになかった自由な人間関係なのだ、というわけではなく、むしろスクールカーストな空気感がデフォルメされ、強化されているのではないでしょうか。

プロモーターとは、腫瘍の分野でいう作用促進剤です。いわゆるブースターです。

 

そこでは転生可能な流動性が自己愛のプログレッサーとなるのだ

界隈を変える仕組みとしての転生。または、「転生をしてもいいんだ」という、転生しない方が偉いという先入観を捨てること。もっというと、ちょっとくらい失敗してもいいんだということ、キャラにあっていてもしんどいことはしなくてもいいこと、そういったことの再確認が自己愛をより満たせる方向に進むのではないでしょうか。

プログレッサーとは腫瘍の分野でいう遺伝子変異の増加剤です。よい方向へ転換することを願って比喩としました。

 

 

さて、ここまでが以前の記事で書いた内容です。

 

 

文化系トークラジオLifeで、SNSについて以下の議題があがっていました。

そんなことを考えていたときに出会ったのが、ボリス・グロイスの『ケアの哲学』(河村彩訳、2023年)でした。この本では、たとえばSNSの投稿のような「自分に関するデータ」のことを「象徴的身体」と呼び、生身の身体の延長にあるものと捉えています。そしてもうひとつ重要な概念が「セルフケア」です。これは、国家の福祉に代表される、他者からもたらされるものとしての「ケア」に対して、自分が自分のことを調整していく、「自己への配慮」(フーコー)に近い概念です。

 

この本では、数々の歴史的な哲学者の議論を振り返りながら、「ケア」と「セルフケア」の対比が語られるのですが、僕はこの本から、「いまやSNSで情報を発信したり、あるいは受信したり、いいねしたりすることは、セルフケアの一部になっているのではないか」

 

これに一部影響されて書いた記事が以下のものです。

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ここで、

VRChatはSNSとしての不十分さがあるのです。そして他のSNSによって補完されている面が多いのです。

といって書いたとおり。自分に関するデータは蓄積されないので、見かけ上象徴的身体が薄れているのではないか、と思うのです。

 

 

転生することは象徴的身体の損失です。ですがVRChatではそれが薄いのならば、転生は意外と簡単にできてしまうのではないかと思うのです。

もちろん、システム的な意味ではなく、気持ちの面です。

 

サブ垢や裏垢をもつことにうしろめたい気持ちを抱く人も多いと思います。ですが、VRChatでは意外と自身の中で受け入れられるのではないでしょうか。

 

 

さて、そうなると次の課題がみえてくると思います。新たな界隈への加入ですね。友達作りといってもいいでしょう。自分の居心地のよいイツメンを探すことです。

このことについてはまた考えるとして、ひとまずのまとめを。

 

 

転生は悪いことではないし、転生は意外と簡単に受け入れられるものです。……とは言い切れませんが、少なくともその可能性はあるのではないでしょうか。

ですから、今のアカウントで「失敗しちゃったな」と思ったとき、いざとなったら転生しちゃえばいいんだ、と思うことで少しは気が楽になるのではないでしょうか。

 

 

以前のブログの焼き増しですが、あらためて。

 

VRChatでイベントキャストをドライに推す(ジャニオタとブックオフから)

以下ツイート群を読んで、ジャニーズ問題から推しの構造を考えるようになりました。

 

 

もともとの意味とは別に、推すという行為にある種の錯覚があるというのです。アーティストやタレントを社会的に勝者にすることによって、自分たちも勝者になれるという投影が。そういった人たちを応援する活動は経済活動ですし、社会的勝者とは経済的な意味も十分に含むでしょう。

個人的に勝者気分へ浸っていることは別によいのです。ですが、経済的支援を行っていると主張することで勝者であると棚に上げてしまうのはいかがでしょうか、と思ってしまうのです。同じような意見のポスト(ツイート)をみつけたので引用しますね。

 

 

 

 

いやしかし、推すことが経済的支援になっているのは事実ではないかという指摘もあるかもしれません。ですが、例えば書籍であれば以下のような推し―推されの関係性があると思うのです。

 

 

 

 

ここまでを少しまとめると以下のようになるでしょう。

推すという行為をするとき、推す側は推される側へ投影を行っている。それは、推される側が社会的に成功することで自身も成功したように感じることである。


だが、錯覚であるにもかかわらず、自身が成功したかのように、成功させたかのように、投資したかのようにふるまうことがある。それをもって正当性を主張するのはいかがか。

 

そもそも推すという行為に経済活動が伴うという構造がそれを錯覚させているのではないか。経済活動を伴わない推す行為として、古本屋で書籍を購入することでも推すことはできるのではないか。そういった読者―著者の関係、推し―推されの関係を淡くてドライな関係と表現している。

 

 

淡くてドライな関係を考えるために、推すことが必ずしも経済活動を伴わない関係をとりあげようと思います。

そのひとつがVRChatイベントキャストの推し―推されだと思うのです。

 

 

ただし、推しという構造的には同じだと思いますので、既存の枠を当てはめて、あらためて淡くドライな関係を考えてみましょう。

 

 

まずは経済活動の有無です。

基本的にVRChatイベントキャストを推すことに経済活動は伴いません。イベントはほとんど有志が行っているもので基本的に無料です。推しのキャストができて推すと表明し、推しに会いにイベントに通うことにお金はかかりません。そういった意味で淡くドライな関係に近いかもしれません。

ただし、キャスト個人への感謝をこめてAmazon欲しいものリストからプレゼントを贈るといった行動をすることはしばしばあります。こういった行為は既存の濃くウェットな関係に近いでしょう。

 

 

社会的支援はどうでしょう。

VRChatでの社会的地位というと、人気や質のよい交流でしょうか。これについては以前にブログで考察したことがあります、というかこのブログ全体のテーマでもあるかもしれません。そこの詳細はいったん不明のまま、仮置きで考えてみたいと思います。

人気や質のよい交流の支援というのは、なかなか難しいことでしょう。もちろんイベントに会いに行って、ある程度認知される客としてふるまうことによって、キャストが人気者になることはできることでしょう。しかし、VRChatterとしてイベントだけをやっている人は少ないのです。むしろオフのときこそ、選択的で質のよいと思っている人と居るのではないでしょうか(イベントは交流する相手を自身で選べないので)。

つまりはオフのときこそVRChatでの社会っぽさがあり、そこを支援できているかというと、やはり一般の推す側ユーザーでは難しいでしょう。

 

 

となると一見淡くドライな関係にみえてきそうです。

 

 

一般的な推す側は、推すことによる成功錯覚や、公式からの供給、ファンサによって報酬を得ます。VRChatでは成功錯覚や公式からの供給はほとんどなく、ファンサがある程度でしょうか。

先にも書いたとおり、ファンサが行われるのはイベントのロールプレイ上であるはずです。そのため、いわばオンのときなのです。推し―推されの関係は報酬を含めてイベントの中で完結しているのです。しかし、推す側のユーザーとオフで個人的に会うということはVRChat上では日常的なことです。イベントおつかれさま、とfriend+のインスタンスで話すなどよくあることです。

つまり、オフでイベントキャストと会うことは個人的な行為なのにもかかわらずファンサのように感じてしまうのです。そのことを混同し嫉妬してしまうと、ドライというよりはウェットになってしまうでしょう。

 

 

ということは、ドライな関係は報酬を受け取るようなものではないのではないでしょうか。

 

 

そもそもアーティストやタレントやVtuberなどある程度推し―推されの成熟した関係で用いられていた言葉をこちらでも適用することに不十分さがあったのかもしれません。ですが、似たような感情を言語化して運用していることは素晴らしいことです。

この未成熟ながら、支援して報酬を受け取るというような枠から外れた、別の形の推し方が淡くドライな推しなのではないでしょうか。そう考えると、われわれはまさに部分的に実践しているのかもしれません。なかなか、難しいんですがね。